社報shinko〜親交〜 2010年05月号

会長レポート:モナコの休日 その1

会長 古市 實

2月中旬、JALパックのツアーに参加して南フランス「コート・ダジュール=紺碧海岸」を中心に8日間の休日を楽しむことができた。伊丹空港を早朝に発ち、成田空港にて国際線に乗換え、パリまで13時間、国際線にてニース空港まで1時間30分、バスに乗って約1時間でモナコ公国モンテカルロの地中海岸のホテルに着いたのが午後9時頃であった。出発各所で乗継時間などがあり、約20時間位かかったことになる。時差が8時間あるので、日本時間は翌日の午前5時頃であった。大阪よりは気温が高いと思っていたが、2日前に17年ぶりの降雪で珍しい雪景色であった。

フェアモント・モンテカルロ・ホテルには6泊して、ここを拠点に各地に出掛けたのである。このホテルはモナコ初のアメリカ資本の大型ホテルとして1975年に開業した名門ホテルで、グレース王妃がオープニングのテープカットをされたとのこと、ロビーにはアメリカスタイルのカジノがあり、ショッピングアーケードやレストラン、バーなどがあり、全面ガラス張りの部屋からも地中海の光景が素晴らしかった。

モナコ公国は100年前までは何もない岩山だった。現在のような観光立国へと発展したのは、19世紀半ばのシャルル3世の功績によるといわれ、地中海と陽光に恵まれたモナコは高級リゾートとして発展する可能性に着目し、カジノや高級ホテルを次々と建設、モナコを一躍「ヨーロッパの高級社交場」として名声を掲げた。加えて1956年、ハリウッドのトップ女優「グレース・ケリー」がヨーロッパ小国に嫁つぎ、モナコの人々に「空から降って来た天使」と熱狂的に迎え入れられ、プリンスのレーニエ公のパートナーとして国際的にも大活躍され、世界第2の小国(第1はバチカン)ながら、世界的に有名になったのである。1982年9月、王妃グレースの運転する車がヘアピンカーブを曲がり損ねて転落、52歳の生命を絶たれた。また2005年にはレーニエ公も亡くなり、現在はアルベール2世公が王位を継がれている。

幸い天候に恵まれ、到着2日目は(フランス領)ニース市内を観光。マティス美術館で躍動感に満ちた切り絵や表情豊かな色彩の息づく作品の数々、またマティスの単純化された線や色彩の息づく作品の数々に感動した。その後シミエ・フランシスコ会修道院のあるシミエ地区の丘の上からニースの街並、地中海まで見渡すことができた。午後からカーニバル、ニースのフラワーパレードで巨大な人形を乗せた花車、にぎやかな音楽を奏でる楽隊、思い思いの仮装を凝らし、踊りはしゃぐ市民の活気を見ることが出来た。13世紀頃から続けておられ陽気で底抜けの大騒ぎが繰り広げられている南仏らしい陽気な祭りである。

3日目はイタリアに隣接する国境の街、レモン・オレンジで有名なマントン市内を観光、地中海の海辺の要塞だったジャンコクトー美術館、ピンク色の壁が美しい旧市内やサンミシェル教会を見学、午後はレモン祭りのゴールデン・フルーツパレードを参観した。(6月号へつづく)


ニース
フラワーパレード

マントン
ゴールデン・フルーツパレード
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