Today's Notables 2002年08月

上海出張記(4)

代表取締役社長 古市 尚


上海の話ももう4話になってしまったが、最後に食の話で締めくくろうと思う。中国はご存知の通り非常に広大な国土と豊富な自然の産物を有する国である。文化は基本的に黄河、揚子江、珠江などの川を中心に発展しており、食文化もそれらの川の影響は大きく、大別すると東方系、西方系、南方系、北方系に分類される。気候風土の関係から、南の方では米文化であるが北方は冬が厳しい寒冷な乾燥地であるため、北に行くほどお米か少なくなり、米・粉、小麦粉、豆類を主体とした食文化になる。

15世紀初めに明の皇帝が都を南京から北京に移したため、宮廷で使う米は運河を使って運ばれていたという。その際にこぼれたお米を食べて丸々と太っていた鴨を見て、皇帝が「何かおいしい食べ方はないのか」と言われたのに対して開発されたのが北京ダックの始まりという話をとっても、北方では米が豊富に食されていなかったことが伺える。我々に馴染みのある餃子や麺類も北方の食文化であるが、因みに餃子はチャオヅと呼ばれギョウザはチャオヅの方言が訛ったものとされている。小麦の製粉技術は紀元前5000年頃からあったといわれ、食材が豊富でなかった分、北方の調理技術は他の地方より進んでいたそうである。東西南北のくくりで分類すると東酸、西辣、南淡、北鹹といわれており、東酸っばく、西辛く、南はあっさりで北は塩気が強いといわれている。

上海は先出の分類で東方に属し揚子江下流一帯の都市で発達した料理、江蘇(チァンスー)料理、浙江(チョーチアン)料理、上海料理が代表的である。この辺りは揚子江の南に位置するので江南地方といわれ、気候は温暖で産物が豊富なため「魚米之郷」として知られている。上海のすぐ北に位置する揚州(ヤンチョウ)は隋に大運河が引かれて以来、交通の要として経済が発展し、物が豊富に集まった影響もあるだろう。清代に塩商人が満漢全席を催したのもこの地方である。満漢全席はその名の通り満民族と漢民族双方の代表料理を網羅した大宴会で、官僚の交流を図るのが目的だったが、次第にエスカレートして、食べっぱなしの宴会は数日間に及んだとされている。熊の手のひら、ツバメの巣、子豚の丸焼きなどは満漢全席から出た料理とされている。上海料理は味が濃く甘味があり、油を多く使う料理を基礎に、揚州、蘇州、無錫、四川などの地方料理や精進料理の影響を受けると共に、外交都市として西洋料理の風味も混ざり合って発展した料理で、上海がに、エビチリソース、杏仁豆腐などが代表的な料理である。一方、上海の現代食事情となると驚きの一言で、日本のレストランではデザイン、サービスレベル、味、どれをとってもはるかに追い越されている店も少なくない。そのようなデザイナーズレストランは価格も高く、東京で食事するのと変わらないほどである。顧客は外国人が中心であるが、IT系企業に勤めているような若い現地人も目立った。

日本の飲食業界でも欧米に勉強に行くのではなく、上海にトレンドを勉強に行く日も遠くない気がした。それほど、急成長している都市である。

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