Today's Notables 2004年03月

「知遇」への広がり

代表取締役社長 古市 尚


昨年の11月のことだが、多摩大学名誉学長 野田先生の話を聞く機会に恵まれた。 野田先生は多摩大学の初代学長や宮城大学初代学長などを歴任され、偉大な教育者として著名であり、以前から一度先生のお話を聞きたいと願っていた。野田先生は所謂教授タイプの方ではなく、起業家のようなバイタリティとマーケティングセンスを兼ね備えたビジネス・エグゼクティブのような方である。野田先生は20代の東大特別研究生時代に、現在でもマーケティングの神様といわれているピーター・ドラッカーの「現代の経営」の監訳書を出されている。それ以来、経営学について弛まぬ研究をされている。1927年生まれの現在76歳であるが、そのバイタリティとマーケティングセンスは一向に衰えを見せない。今回私が参加した講演会でも全く何の原稿も見ず、4時間精力的に話された。聞いているこちらは経営学の興味ある話に引き込まれ、感心するばかりであった。

その中で野田先生は「知遇」ということについて触れられた。野田先生は数々の歴史に残る企業経営者や創業者と会われたり研究もされているが、卓越した成功を収めた経営者が過去を振り返る時、必ずといっていいほど出てくる言葉が人に関する「運」だという。以下、野田先生が書かれた経済産業新聞のコラムより抜粋する。

『 “運”には当然のことながら人知ではどうにもならぬ“偶然性”がその本質にあることは確かだ。 しかし、一大事業の成功に決定的役割を果たしたほどの人物との出会いを、単なる偶然の産物と割り切っていいはずはない。と考えると、「人はその人生で、その人にふさわしい運にめぐり合う」という言葉の意味がぐっと重みを増してくる。仮に、最初の出会いそのものは単なる偶然であったとしても、その際お互いが意気投合するとか、相手に感銘を与えることがなければ、それをキッカケとして、親密で貴重な人間関係が生まれてくるはずがなかったに違いない。ことに「事業の成否を左右する」ほどの人物との出会いともなると、それが単なる偶然から生まれることこそ不自然に思える。「知遇」という言葉がある。「人格や識見を認められて厚い待遇を受けること」と定義されている。一般には、経済力や社会的地位を持った人との出会いを契機に、相手からやがて望外の支援を得られるようになることを意味するのだが、そういう立場の人を会う気にさせるには多くの場合、当人に相手を魅する何かがあったためだと考える方が自然だろう。』


そう言われて自分の人生を振り返ってみると、本当に様々な出会いがある。野田先生が言われるように人それぞれスケールも支援の形態も違うだろうが、人と出会って何年もお付き合いが出来ることだけでも十分な支援だと思う。しかし、出会いは偶然であろうとも、出会いからの人間関係は偶然では続かない。当社でも顧客満足度を図るためにMOT(Moment of Truth, 劇的瞬間)分析を行っているが、「キッカケ」は人と会ったその劇的瞬間から始まっているわけで、その瞬間、瞬間が大切である。お客様と会う時も協力企業の方と会う時も、友達の友達と会う時も、奇をてらわず、誠意を持って対応すれば何年も続く長いお付き合いができる。こちらが納得の行く仕事ができた時には、またお客様から声をかけていただける。そんな繰り返しから「知遇」への広がりが生まれるのだろうと思う。自分の人間関係の輪を自分の鏡として客観的に見ることも必要であろう。

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